昭和の街と名乗り始めたのは2年前からで、それまでこのエリアに特別な名称はありませんでした。
(それまでは中央通り・立門前通りという通りの名前、もしくはエリア内に3つある商店街名で呼ばれていました。)
昭和の街という名称になった理由は、中央通りが昭和8年に開通したこと(それまでこの一体はほとんど蓮馨寺の敷地でした)、昭和初期の建物が複数残っていることが主な理由です。
平成23年頃から地元住民によるまちづくり会議が行われ、その話し合いの中で名称が決定されました。
江戸から明治の蔵がある一番街、商工会議所などがある大正浪漫通り、この2つのエリアと、今現在工事中で新しい街並みになる連雀町交差点から本川越駅までのエリアを繋ぐ場所にあるこの街は、位置的にも時代の流れとしても、近世・近代と現代を結ぶ「昭和の街」として保存・活性化するのが望ましいとの考えにも基づいています。